どうも、てんぱーです。
最近、人と自分の見ている景色のギャップ(ネガティブな)にびっくりしたので、なぜ違うのか考えてみました。
受け取り方が違う
同じ仕事を見ても、どうやって成果物が出てきたのか、考える人もいれば、自分が望むものが手に入ったので、後はオッケー!って人もいますよね。
例えば、りんごを作って提出して下さい、と仕事をAさん、Bさんが依頼したとしましょう。
りんごを作って出した時、
Aさんはりんごという成果物だけでなく、その過程も聞き取り評価、
Bさんはりんごの味など出来に対して評価、
とそれぞれ反応が異なりました。
どちらがいいという訳ではなく、人によって出てきたモノは同じでも受け取り方は全く違う、という事です。アタリマエのことですね。
誰がやっても一緒?
では、りんごをCさん、Dさん、Eさんが作るとします。
それぞれ得意分野が異なり、りんごを作る上ではCさんが一番上手でした。続いて、Dさん、Eさんの順です。
※りんごの美味しさ : Cさん >>> Dさん > Eさん
Aさん、Bさん共に美味しいりんごが食べたいのですが、Cさんが突然りんごを作れなくなり、Dさん、Eさんのみになってしまいました。
すると、Aさんは、「Cさんと同じようなりんごを作ってほしいので、色々試しながら美味しいりんごを作りましょう」と言い、Bさんは「なんでCさんと同じように何で作れないんだ!?作れるように何とかしろ!」と言いました。
さて、どうでしょう。状況は一緒なんですが、言ってることが違いますね。
この状況からは、りんごを作るにもCさんがいないので、Dさん、Eさんでりんごを作っていく必要があるんですが、要求に対する手法がAさん、Bさんで異なっています。
まず要求はどちらも同じです。
要求:Cさんと同じりんごを作って欲しい。
手法:
Aさんは試行錯誤しながら作ろう、と提案。
Bさんは何とか作れ!と命令。
どちらも正しいように見えますか?どうでしょうか。
想像力がなかった
AさんはDさん、Eさんの状況からCさんと同じりんごを作ることは難しいと想像し、判断しています。
もう一方のBさんは駄々をこねる子供の如く、同じりんごを作れ、と。
どちらが想像力を欠如しているかは明らかですね。
価値観や生き方も多様になっている今、相手の立場も様々で、自分が求める成果物とのギャップを埋め合わせる努力をする必要があると思います。
どういった形で成果物が出てこないのか、ヒアリングだけでなく、想像して考えることに意義があります。
今回のケースだと、例えば、AさんBさんがお客さんであれば、それがお金(対価)になりますが、上司であれば、マネジメントする必要があると思います。
Bさんのやり方は今いるメンバーの実力に対し、過度な要求を突きつけていますね。
果たして、それで本当に美味しいりんごを作れるのか。疑問です。
想像力を持てれば、なぜ美味しいりんごが出来ないのか、少しずつですが分かってくるのではないでしょうか。
想像力を鍛えよう
相手の立場に立って物事を考え、想像することはこれからの社会ではとても重要な事だと思います。
お互いが違うということは理解しつつも、相手の立場でどうすればよいか、どうして対応できないのか、を想像してみましょう。
100%理解は出来ませんが、色々考え、想像するだけで、少しずつ要因が見え、解決の糸口が掴めると思います。
要求だけでは何も変わりません。ただ、大の大人が要求ばかりしている現状があります。
みなさんはどうなりたいですか?
以上、あれこれ書きましたが、てんぱーの主観ですので、あしからず
ではまた。
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