どうも、てんぱーです。
最近思うんですよ。思うがままに生きたほうがいいなって。
誰のためにやってるの?
今の仕事、誰のためにやっていますか?
生活のため?お金のため?自分のため?家族のため?
自分に問いただした時、すぐに答えは出てくるでしょうか。
僕自身は家族のために働いている、と今は感じています。
ただ、歳を重ねてくると、また思うことも変わるでしょう。でも、それでいい。
ようやくそう思えるようになりました。
しかも、その時々で何のため、誰のためにやる事も変わってきますよね。
そんな時、どういった基準で判断しているのでしょう。
固定観念の呪縛か
こうでなければならない、そうあるべきだ。
世間に蔓延していると感じる固定観念。時々、同調圧力も強くなる。
でも、そろそろ僕ら1人1人がその呪縛から解き放たれてもいいのではないでしょうか。
よくある固定観念例として極端ですが以下、挙げてみます↓
- 家を買うことで一人前 → 家を買わなければならない
- 初任給で親へプレゼント → 親に感謝しなければならない
- 年上は偉い → 年上を敬わなければならない
- 家族間で助け合う → 家族を養わければならない(子供ではなく大人に対して)
- 先生・親の言うことが正しい → 従わなければならない
正しいとか正しくないとかではなく、そうでない道もある、という事を許容出来るようになって欲しいなと思うんです。
家を買わなくても、1人で自分の食い扶持を稼いでいれば、自立(一人前)していますし、プレゼントなんか渡さなくたって、生きているだけで親孝行です。親のDNSを受け継いで、今、生きているんですから。
年上でも敬えない人なんてたくさんいます。
家族間だって関係性によっては養う必要がない場合もあります。
先生や親だって間違えることもある。人間ですから。
そんなの分かってるよ!って言われそうですが、意外と囚われている人が多いと思います。
自分で外れてもいい!と思っていても固定観念から外れることでストレスを感じて体の調子が悪くなったりすることもあります。
ずっと似たような固定観念に晒されていると、意外と根っこに根付いてしまうものなんですね。
自分の気持ちをもっと大事に
一番は自分の気持ちを大事にしたいですね。
感情的な部分も論理的な思考部分も含めて自分が思うことを大事に。
どうでしょうか。大事に出来ていますか?
僕自身、仕事では自分の気持とは裏腹に我慢が多いです。ただ、これは家族を養うため、と思うこともあり、何とかなっています。
もし、これが自分のためだったら、やりたくない仕事に対して、まだちょっとよく分からなくて、とかはぐらかしている気がします。
やっぱり、自分が一番したいと思うことをするのが一番ですよ。
誰に言われなくても自ら進んで始めますし、好きでどんどんやっていくので、スキルも上がっていく。
それが世の中に必要とされていないことだったとしても、思うがまま、自分の気持ちを大事に、自分が納得しながら進めることが大事だと思います。
我慢ばかりを周りに強要するような息苦しい社会は、誰もが嫌ですよね。
少しづつ寛容にはなってきていますが、まだまだ強い圧力。
それでも僕らは、思うがままに、生活も仕事も選んで生きるほうが幸せだと思うんです。
誰かが(固定観念かもしれない)、ではなく、自分が、選ぶ人生を。
以上、あれこれ書きましたが、てんぱーの主観ですので、あしからず
ほいじゃあ〜
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