どうも、てんぱーです。
話の中で問いかけをすることは、よくあります。
その問いが話を広げてくれたり、深めてくれたりもします。
ただ、時折、その問いは今必要なの?といった問いってありませんか?
全ての問いに答えていたら労力も時間も多く奪われてしまいます。
時間は有限。体力も有限。
ですが、世の中には、そんな事は知らん、と相手を考慮せずに問いを投げかける人がいる。
なぜその問いをするのかちょっと考えてみました。
教えてもらって当たり前
日本はおもてなしの心で基本的にサービスがかなり高い水準にあると思います。
たった100円のお寿司食べに行くだけでも、店員さんが色々やってくれます。
コンビニに行けば店員さんが挨拶してくれますし、買い物をする側にとってはとてもいい環境で買い物が出来ます。
また、教育に目を向けて見ると、日本の小中学校では画一的に言われたことを出来ることが美徳とされており、何かをするにしても、教えてもらうことが根底にあります。
つまり、自ら考え行動する主体ではなく、何かをしてもらうのを待つ受動がベースになっています。
ただ、これの弊害なのか、ちょっと勘違いが生まれている気がします。
それは教えてもらって当たり前、です。
この考えが根底にあるために、自分で調べる・考える、という行為をすっぽかして、それってどうやるの?とか、どうしたらそれが出来るの?と、改めて聞いてくるケースが多いと思います。
これが会議なら、その確認の時間を他に当てれば効率は上がるのに。。。
※会議のメンバーが話しについてこれる、がベースにないとこの考えも通用はしませんね。
誰のための問い?
一方でそんな簡単な問いはいる?と思うケースもよくあります。
話に付いてこれない人のために、わざと問いかけるケースをよく見ます。
問いに答えることで、その場の全員が理解し、次の議論が活発になる可能性も大いにありますし、これはこれで必要な問いなのかな、と思います。
ただ、その場の会議に参加する資格のない人が参加している、という事にもなって、なんだかな〜、と思うときもありますね。
本来は事前準備として自主勉強を促すのが大人なのかも知れません。
これは人によって行動が分かれそうですね。
特に国内と海外の会社で考え方がかなり違うかも知れません。
問いの裏側を考えよう
普段から様々な問いに僕らは触れています。
その中で全てに答えていくのは難しいですし、必要じゃない問いに答えるのはロスになりますよね。
その時の場面、問いの中身から、問いの裏側を想定し、対応していけるようになると問いの内容を見極められるようになると思います。
普段から、ただの問いとして捉えるのではなく、なんでそんな事を聞くのか、何が欲しくてその問いなのか、裏側を考えて生活してみましょう。
ほいじゃあ〜
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